私たち「Osano夫婦」の運命的な出会いをお話します

皆さんこんにちは、Kasumiです!

今回は私たちOsano夫婦の出会いについてお話したいと思います。自分で言うのも何ですが…かなり特殊な出会い方をしていると思うのでご興味がある方は是非最後までご覧いただけると嬉しいです…!

目次

まずは私たち夫婦の出会い、馴れ初めからお話していきます!こんなに詳しく話すのは初めてですね。

D地との出会いは2021年9月、富士登山がきっかけでした。友人の1人が30歳(三十路♡)になる前に富士山に登ってみたい!ということで声をかけてくれ、女3人でツアーを申し込みました。

私自身、登山は身近なものでした。というのも私が通ってきた高校がなかなか特殊な学校で毎年の遠足がガチ登山でした。高校3年の最後の登山の時には、私は皆を率いる登山のリーダーになり尾瀬の燧ヶ岳に登ったり、卒業後も母と高尾山に行ったりと自分にとって登山は身近なアクティビティでした。

富士山は今までとは訳が違うよなと、日本一やぞ、と富士登山の日が近づくにつれ気が重くなっている自分が居たのは事実でした…。

富士登山当日、私たちはツアー会社のバスが待つ新宿で待ち合わせ、富士山5号目と向かいました。
登山自体は気が重かったのですが、仲の良い友人と会うと気分が晴れ、ワクワクと楽しみに変わっていました。

しかしこの後、未来の夫に出会うなんて1マイクロも思っていませんでしたがね…。

5号目に着き、皆で食事を済ませ、集合場所にツアーの参加者全員で集合しました。
約20人のツアー参加者につき2人のガイドがついたのですが、そのガイドの1人が後の夫になるD地でした。
 
D地はその時登山用のバラクラマで目から下を覆っており顔全体は見えなかったのですが、キラキラとした目がとても印象的だったことを今でも鮮明に覚えています。

出発前の最終確認の時に、私のリュックの緩んだ紐をキュッと締めてくれたのですが、後から聞いたらその時から彼は私のことを意識してくれていたそうです(ちょっと今話すと寒い)

14時30分頃に5号目を出発したのですが意外とスローペースで歩くので体力的にすごく余裕があり友人とD地とずっと会話をしながら歩き続けました。

話せば話すほどD地はこれまでの人生、出会ったことがないタイプで、今を楽しむことが大事なんだぜアイアムバックパッカー⭐ヒッピー魂⭐がひしひしと伝わってくるむしろ苦手なタイプだったので(ごめんなさい)この時はまだまだ恋愛感情は皆無でした。 

そして1番の衝撃は当時の彼の年齢。髭が生えていて見た目は落ち着いているのですが、口を開くと幼さを感じられたので「お兄さんまだ若いでしょう〜(完全に口調がおば)」と聞くと「はい!もうすぐ23歳です!」と元気よく返されびっくら仰天。
自分よりまさかの6個も下でした。

山頂に登るに連れて道が厳しくなり皆の口数も少なくなってきたのですが、なんとか山頂に辿り着き御来光を見て無事下山をしました。日本一の山で見るご来光は本当に神秘的で…。富士登山についてはまた機会があれば記事にまとめたいと思います。

そして登りはガイド2人に挟まれて登ったのですが、下山はそれぞれ降りるペースが違うので下で集合!という感じでした。

あらもうガイドさんとは話せないのかなと少し寂しくなっている自分がいたのですが、途中で無事合流しすることができ、その時に皆で撮った写真を交換することになりました。

その時にInstagramを交換したのですが、これが無ければもう一生会うことはなかったかもしれませんね。

下山後バスに揺られ新宿駅で解散した訳ですが体はガタガタ、帰宅後はヨギボーに埋まりながら気絶状態だったのですが、そんな時にピロンとInstagramにDMが…それはD地からでした。

楽しかったですという連絡だったのですが、そこから2人で会いたいということを言われ…山で出会った人皆にこういうメッセージをしているのだろうな(白い目)と思いながら返信をしていていましたが次の週に東京まで会いにきてくれるということでデートの約束をしました。

DMを送った時は返信が来ないのでは無いかなど色々と考えて緊張していました…!!

富士登山でお世話になったガイドの1人だったD地とツアー参加者の1人だった私が、どのようにして結婚にいたったのかをお話します!

車を走らせ当時住んでいた長野から東京まで来てくれたのですが、下界で会うのは初めて。
むしろ2度目ましてだったのですが違和感が全くない感じ、ずっと前から一緒に居るような心地よさや感情がありました。

それからずっとD地は「やっと出会えた、やっと出会えた!」を口にし、「付き合って欲しいです、ずっと将来を共にすると思う!」と結婚を視野に入れての告白もされたのですが私は警戒心MAX。それはそうでしょう…2度目ましての年下の山男からプロポーズまがいの告白をされるなんてね、なにかの間違いだと思いますよね。

あなたはまだ若いから、コロナも明けたしこれからまた世界中を旅して色んな出会いがあるよとお断りをしたのですが、それでも嫌だ!一緒に居たいと熱は冷めず、次の週も東京まで来てくれました。

お断りしたものの、初めて東京に会いにきてくれD地が長野に帰った日、私は涙が止まらずすごく苦しくなりました。一生の別れではあるまいし、こんな年下の男の子にお熱になっている自分が気持ち悪いなぁ、いかんいかん、と思いながらも何かを引き裂かれるような感情に襲われ、こんな経験も生まれて初めてでした。

のちに訪れたタロット占いで私たち2人は前世親子だったと言われたのですが、D地が言う「やっと出会えた!」の意味も、離れた時の苦しい感情も全てその意味がわかるような気がしました。

そしてD地の熱量に押されお付き合いをしてみようと承諾をした9月30日は、たまたま先住犬ウェンディーの命日でした。

一緒に過ごしていく中で、一つ一つの発言がとても優しくて山男のはずなのに食べ方が私より綺麗だったり、ダーナに愛を持って接してくれたり極めつけは私のお風呂場の排水口を綺麗に洗ってくれたことに心を惹かれていきました(お風呂ピカピカ)

そこから12月、父に結婚前提で付き合っている人がいると自分の誕生日ランチの時に伝えました。その告白の直後にバースデープレートが来てしまい、家族全員なんとも絶妙な顔をしているのでこちらのお写真をご覧ください。

結婚相手以外は家にあがらせないというのが父親の考えだったようですがD地の話をし写真を見せると、父は彼を家に連れてきなさい、そう言い12月24日イヴの日に挨拶に来てもらうことになりました。

富士山の出会いから3ヶ月後、結婚前提にお付き合いをしている挨拶として佐藤家に来てもらいました。D地は成人式の時に一度だけ着たスーツを着てくれたのですが、このスーツもその3年後にまさか彼女の両親との挨拶の場で着られるなんて思ってもいなかったでしょう…

その日は友人からたまたま届いた毛蟹をいただいたのですが私の父親も30年前、結婚の挨拶をしに上海にある母の実家に行った日に上海蟹を食べたらしく…!いろんなご縁を感じ、このイヴの日に父の中で2人は結婚するだろうなと謎の確証があったそうです。

そこから移住に向けて物件探しなどをし翌年の6月に入籍、9月に移住と怒涛の1年間を過ごしました。

移住のお話はこちらの記事からご覧くださいませ。

こんな感じで出会ってから8ヶ月のスピード婚だったのですが私たちはもともと出会う前まで、結婚願望がはっきりとあるわけでは無く、私自身20代の頃は女友達のお陰で沢山出会いがありましたしマッチングアプリも網羅していました。

素敵な出会いもたくさんありましたがゴールインすることはなく、まぁこのままダーナと2人で楽しく生きていこう〜と思った矢先の出会いでした。

結婚ってなんなんでしょう。

今回は私たちの出会いから結婚までをお話ししましたが、私は決して結婚=人生のゴール、とは思っていません。

結婚はそれこそ登山でいうと、靴紐を結んで準備体操をしている段階だと思っています。そこから一緒に山を登っていく、その山頂はそれぞれ夫婦によって違うと思いますが一緒に山頂を目指していく。

どんなに険しい道でも一緒に登っていける、どちらかが登山中怪我をしてしまうかもしれない、それでもその相手を担いでも登っていく、そう思える人となら結婚はしても良いのではと思います。

しかし登山中、勝手に相手を置いてけぼりにして進んでしまったり、相手が転んでも手を差し伸べなかったり、自分が疲れているからと逆ギレをして話にならなかったり、そんな相手だったら1人で登っていく方がマシなのでは、そう思うのです。

私は結婚しなくても良いこの時代にあえて結婚という選択をしたいな、そしてこの人をもっと幸せにしたいな、そう思えたのがD地でした。

また私の恋愛・結婚感のあれこれについては自身の経験や友人の話を交えながら改めて記事にしたいと思います、いや、させてください笑
こんな感じで私たちOsano夫婦の出会いについて今回はお話させていただきました。
最後までご覧くださり本当にありがとうございます!それでは次の記事でお会いしましょう〜!

  • URLをコピーしました!
目次